写真で見る純信・お馬の足跡











純信が、送ったとされる簪






純信愛用の袈裟






純信愛用の茶碗








純信からお馬に宛てた恋文
川之江の純信堂にもありましたね。



河田小龍

河田 小龍
 かわたしょうりょう1824-1898


土佐藩の画家。天保7(1836)年に島本蘭渓について絵画を学び、天保10(1839)年には岡本寧甫に儒学を学んだ。弘化3(1846)年に、参政吉田東洋に従って京都・大阪に出、狩野永岳に師事して狩野派の絵師に列し、さらに中村竹洞について南画の技法を修めた。この頃から吉田東洋から才気を認められ、政治的な用向きにもたずさらるようになった。嘉永2(1849)年長崎に遊学する。嘉永5(1852)年、アメリカから帰国した土佐中ノ浜の漂流漁民中浜万次郎 (ジョン・万次郎)の取調べを藩より命じられ、その体験を通していっそうの開明的意欲を抱くようになった。その折、小龍は万次郎を3ヶ月間自邸に逗留させ、詳細な口述を取るとともに、得意の絵画を書き添えて『漂巽紀略』四巻をまとめ、藩主山内容堂に献上した。安政(1854)元年には藩命を受けて砲術家田所左右次らとともに薩摩へ出張、反射炉などの進んだ軍事技術を視察した。評判を聞きつけた坂本龍馬は小龍宅を訪れ、安政元年の秋から冬にかけて教えを乞うた。龍馬が幼稚な攘夷意識から脱却し、海に関心を向けるようになったのはこの時からである。小龍は晩年、京都に居住し、狩野派から選ばれて二条城襖絵修理に参画した。






これらの資料は、高知の明坂氏より送っていただいたものです。
ありがとうございました!